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2008.01.27 Sunday |  | - | - | - | 

インド紀行 (第5話)

でも出口を1歩出たとたん、必ずといっていいほど…

「ハローミスター!(ちょっと兄ちゃん)」

と声がかかって呼び戻される。
100軒の店でやっても おそらく99軒までは必ずまた引き戻されると思ったらいい。
こうして店を出たり入ったりして値段の交渉をしていくわけだが、敵は時間があり余るほどあるので、こちらが急いでいるときは まず買い物は損すると思って間違いない。
そういうわけで、店を2〜3回出たり入ったりしているうちに 最初の言い値の半分くらいになっている。
でも、これからが本当の演技力の見せどころ!
さきほどの象牙の横には、私が喉から手が出るほど欲しいサリーがあるが…
欲しいなんてそぶりは ほんの少しも見せずに、

「ところで、この横に飾ってあるしょうもないサリーは一体いくらぐらいするんだい?」
 
「それは、五千円です。」
(他の店では欲しそうな顔で聞くと、同じようなサリーが一万五千円くらいだった。)

「じゃあ、くだらないけれど これもついでに買っていくか。千円にまけてくれる?」
(こういうことを平然と言えるようになるまでには、かなりの修行がいる。)
 
「いや絶対に それはまけられない。」
 
「そしたらもう象牙も全部買うのはやめた!!」
と、怒った様子で立ち去ろうとする。店主はあわてて…
 
「OK!君には負けた。サリーは三千円でいいよ。」

これで商談成立!!!
私は彼と握手を交わす。
サリーを受け取り 三千円払って出ようとすると、店主唖然として…

「あの象牙は?」
 
「また今度にするよ。」
 
「アッチャチャチャ」 (インド人の口ぐせ)

所要時間 三時間。
日本人がインドで現地の人たちと同じ程度の値段で品物を買おうと思ったら、最低これぐらいの買い物テクニックは必要です。
これだけしても まだ三割ぐらいは損をしているはずです。
この話を聞いて、私のことを詐欺師だなどと思うおめでたい日本人がもしいれば、その人はゆめゆめ海外旅行には行かない方が安全ですゾ。

〜おわり〜
2006.06.09 Friday | 18:24 | - | - | インド紀行文 | 

インド紀行 (第4話)

では今度は、ショッピングの要領についてお話ししましょう。

物には値段がついておらず、相手によって値段が変わるので、
できるだけみすぼらしい格好をした方が何かと得です。
インドでは、つまらぬ虚栄心や成金趣味はかなぐり捨てるべきです。
たった一つの物を買うときも、タクシーに乗るときも、まず闘いが始まります。
それではここで、その模様を再現してみましょう。
(値段は日本円に置き換えてあります)

場所は とあるみやげ物店。私が店内に入ると、店主が単刀直入に…

「お前は日本人か?」

「いや僕はモンゴル人だ!」

「おまえの英語はジャパニーズイングリッシュのようだけど、本当にモンゴル人か?」

(日本人だと見られたら品物に高い値段をつけられて損をするので…)

「ああ、少し日本に住んでいたことがあるだけだ。」

私はそんなことはおかまいなしに店内を見回しながら、とても素敵な 前から欲しいと思っていた柄のサリーを見つけた。
でも、それには目もくれずに、隣にある象牙の置物に関心を持ったそぶりを示した。とたんに彼はその象牙についての美辞麗句を盛んにまくし立てる。
5分ほどそれを聞いた後、
 
「それでは値段はいくらか?」

「一万円。とても安い。」

私はさもビックリした様子で、

「Oh!高い高い、冗談だろう」
そして、ものすごくその象牙を欲しがっている顔をする。
彼は高飛車に

「それでは、おまえのラストプライス(払える値段)を言え!」

私はさも貧しそうに…
 
「二千円なら買うことができる。」
(品物によっても違うが、最初は相手の言い分の10%〜50%を言った方が良い)

彼は両手を上げて、
「とても無理だ。……でも、八千円ならなんとかなる。」

私は少し考えるふりをして、
「OK!三千円で手を打とう!」

彼は私が象牙を欲しがっていると思い込んでいるので、
 
「冗談ではないよ、わたし損する。七千円がぎりぎりの値段だ。もうこれ以上はまけられない。」

私はあきらめ切れない顔をしながら、寂しそうに店を立ち去ろうとする。(このときの演技がなかなか難しい)
また、相手も心得たもので、出口から出て行くまでに私の気が変わらないかと、こちらの様子を見ている。

〜つづく〜
2006.06.09 Friday | 18:21 | - | - | インド紀行文 | 

インド紀行 (第3話)

インドではどんな大都会に行っても、いくら高級ホテルに泊まっても 
明かりが煌々とついてネオンが輝いているなどということはなく、
しょっちゅう停電になります。

日本では当たり前のように思っている電気やガスが 
ここでは贅沢品で、一般の人々が貴重な燃料としているのは
CowCopel かの有名な牛の糞なのです。

ですから路上にフンが落ちていることなど絶対にありません。
牛が便意をもよおすやいなや 
四〜五人の人が群がってきて奪い合いになります。
だから地上に届く前に ほとんど誰かの所有物になっているわけです。
そしてそれを木や壁に貼り付けて乾かすと 
驚くほど良く燃え、けっこう長持ちします。
それを煮炊きに使ったり、暖房代わりに利用します。
(たまに料理に混じっていることもある)

また、牛の糞を専門的に売っている店もありました。
私は友人の Mr.クマールに
「日本では石油を初め色んなエネルギー問題で、政府は頭をいためているよ。」
と言うと、「日本はなんて貧しい国なんだ。」という答えが返ってきました。
確かにオイルショックはあっても、
牛のフンショックなんて聞いたことがありません。
それこそ なんて合理的で無駄のないエネルギーでしょう!
日本もそろそろ石油の輸入がストップしたら
牛の糞を利用する手立てを考えておいた方がいいのでは?とも思いました。

でもそれには、まず 牛を神様に奉って日本国じゅう牛だらけにしなくては…

〜つづく〜
2006.06.09 Friday | 18:17 | - | - | インド紀行文 | 

インド紀行 (第2話)

まず、最初にインドに行って誰もが驚くことは、
牛が神様である ということ。

水牛も含めてインド国内では なんと三億五千頭もいるのですから、
ちょっとでもよそ見をして歩いていようものなら 
お牛様とぶつかってしまいます。

そういえば、日本でもお犬様とかいう馬鹿げた風習があったっけ??
とにかくこのお牛様はやっかいな代物で、
果物屋やお菓子屋の店先で公然とつまみ食いはするし、
車の多い路上でも悠々と昼寝を始めます。

どういうわけか車のクラクションも牛に気を使ってか、
牛の鳴き声そっくりなんです。
一旦牛が昼寝を始めたら それこそ一巻の終わり、
路上は交通渋滞になってしまいます。

私が腹を立てて、運ちゃんに
「おいおっさん!!急いでるから牛どかして はよ進め!!」と怒鳴ると、
『お牛様に向かって何をいうか』という感じで
冷ややかな眼差しを向けて知らんぷり。

それどころか、牛の昼寝が終わるまで運転手同士が車から降りてきて
博打を始めたのには驚きました。

まあデリー市内ではこういうことはほとんどないけれど、
片田舎に行くと日常茶飯事にこんな光景に出くわします。
もし、ここで急病人が出ても 
このお牛様の気分次第で生死が決まるような気がします。

そこで一句!

インドでは 生きるも死ぬも 牛次第 

明人

しかし、よくよく考えてみると、
この奇妙な風習も牛肉を食べてはいけないという戒め。
つまりヨガ食の一端なのです。

特にこういう暑い国では、高タンパク質や肉のとり過ぎは 
痛風や蓄膿、皮膚病、コレラにかかりやすいという
生活の智恵から生まれた風習があり、
宗教的戒律によって厳しく守られているのです。

私がインドで知り合った友達 Mr.クマールに、
「日本では血のしたたるビーフステーキをレアー(生焼き)
で食べるのが最高の贅沢だ。」と話すと、
「お前もそれを食べるのか?」と すごい剣幕で怒りながら聞いたので、
「いや、おれは嫌いだ。」と言わざるを得ませんでした。

大好物だなどと言おうものなら、それこそ八つ裂きにされそうな感じだったから…

ですから食堂なども菜食主義者(ベジタリアン)専門店が多く、
地域によってはチーズも卵も御法度というところもありました。

肉食をする人たちは、主にマトン(羊の肉)を食べ、
チキンがかなりの贅沢品でした。

〜つづく〜
2006.06.09 Friday | 18:16 | - | - | インド紀行文 | 

インド紀行 (第1話)

私は、今から27年前に最初にインドを訪れました。

もう20回以上インドを訪問してますが行く度に、驚きがあり強い刺激があります。

若い時からいろんな国を旅しましたが 
それは、私のヨガの師匠から「人生出会い、人生は旅」という
座右の銘をいただき、暇をみつけては、せっせと放浪の旅をしました。

もちろん仕事もヨガを、日本全国に広げるという強い野望を持って
北は北海道の網走教室から南は鹿児島の川内(せんだい)に至るまで
実際に講師を育て直接指導してきました。

インドに行くともう二度と行きたくないという人と、
はまって何度でも行く人に極端に分かれるということをよく耳にしますが、
今は亡き三島由紀夫が、次のような言葉を残してます。

「インドに、行ける人と行けない人がいる。神に近い人は、
必ずインドに行ける。行ったけどもう二度と行きたくないという人は、
神に見放された人だ!」 と …

私自身最初にインドを訪れたとき、
ここはこの世の地獄かとみまがうばかりの光景に何度もでくわしました。 

聖なる河ガンガの聖地ベナレスでは、毎日のように
死体が山積みになり火葬されてから、河に流されます。

小船でその火葬を見学に行ったとき焼かれた死体がまるで
するめのようにむくむくと起きあがりそれを、
まるで鬼がわらのような怖い顔をしたおっさんが、
鉄の棒で頭蓋骨をたたきわる光景を見たときおもわず、腰がぬけそうになった。

その近くでは、毎日のように日の出とともに沐浴の光景が見られますが、
洗濯屋がたくさん洗濯してたり、
又トイレのかわりに聖なる河?でうんこをしてる人がいっぱいいてるのを見て
ガンジス河での沐浴を経験するまでに三年の歳月がかかりました。

また宗教によっては、鳥葬という儀式があり
塔の上に死体を置き2メートルはあるかと思われる巨大なはげわしが
その死体をついばむことによって魂が天国に行けるという
世にも恐ろしいセレモニーがあります。

日本でもヨロン島に行ったとき風葬の名残でたくさんの頭蓋骨を見たけど
いくら天国に行けるとしても私は鳥葬だけはごめんこうむりたい。

又、火葬したあとその死体の灰を身体中になすりつけて
歩いている変な奴がいてて、あいつは、いったい頭がおかしいのか?
とガイドに聞いたら、彼はおぼうさんであれで死者の霊を弔うそうで
一般の人は彼に尊敬の念をこめてお布施を渡してました。 

インドの坊主おそるべし!

インドに、二度と行きたくないという人の意見を聞くと
「何処に行っても物売りやこじきがまとわりついてくる。」
私自身そのしつこさに最初のうちは、辟易しましたが
慣れてくるとそれがまるで風のように全く気にならなくなってきます。

逆に他の国に行ってなんとなく物足りなく感じるのは
その喧騒と騒々しさに慣れてしまっているからでしょうか? 

〜つづく〜                                   
2006.06.09 Friday | 18:13 | - | - | インド紀行文 | 
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